カニバリストの告白

カニバリストの告白 デヴィッド・マドセン著 池田真紀子訳

『生まれて真っ先に渇望したのは肉だった。ある朝、私は乳を吸いながら母の乳房を噛みちぎろうとしたという』−本誌表紙内抜粋。
私はトログヴィルを殺していない。から始まる物語。トログヴィル殺害容疑他諸々で投獄された、オーランドーの回想録です。『ハイゲートの女王』とオーランドーに言わしめるほど、母を神聖なるもの、完璧なものとして崇め、反して父には憎悪さえ持っていたオーランドー。けれどもそれはフロイト思想からくるものでは決してないと本人は断言しています。
めまぐるしく自らの芸術家・シェフ人生を走り続けるオーランドーには、面談に来る精神科医さえ、巻き込み取り込んでしまうような独自の理の通りがあります。その理、普通であれば通らぬところを、聞く人を幻惑させる蟲惑感を充分に含むのは、真実もまたその中に入り混じっているからなのでしょう。面談に来る精神科医エンリコ・バレッティが、オーランドーの、その独自の芸術的吸収の理に悩まされ、嫌悪し、惑わされていく様子が、報告書の形で挿入されていて、それもまた面白みのひとつでした。
罪状多々有りのオーランドーが、憎しみさえ抱いていたトログヴィル殺害を心から否認する理由。それはもちろん本当ではないからというのもあるけれど、彼自身の芸術に叶っていなかったからなのです。オーランドーの理に通らない。

芸術の前には悪意さえも成り立たないとでもいうような、オーランドーの振る舞いは、いっそ清々しさを感じるほどに明白に描かれていますし、ジャックとジャンヌの二人がスパイスを効かせてくれてもいました。帯部分に『万人には決してすすめられない禁断の書!』とありますが、同感です。これが大好きな一冊なんだ〜と軽い気持ちで勧められるものではないよなぁと、やっぱり思ってしまうけど、マドセン好きの私としては、今回も大いに楽しめました。マドセンの本は『読まされる』感がとても良いです。気になる方は読んでみるべしという一冊。濃厚な読書の時を過ごせます。色々濃ゆいのです。

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 グノーシスの薔薇

グノーシスの薔薇 デヴィッド・マドセン著 大久保譲・訳

ルネサンスの爛熟するイタリア・ローマ。小人であるペッペは、ローマ教皇レオ十世の侍従として過ごす一方、敬虔たるグノーシスの徒でもあった。二つの相容れることの無い世界に、人生をかけて愛するべき人をそれぞれ持ってしまったペッペの、グノーシスの徒、レオ十世の侍従、そこへ到る奇妙なる出会いと時の流れの連続、その回想録である。

回想録をしたためている現在と、グノーシスの徒としてのペッペ誕生の頃からの回想録が順に描かれ、レオ十世その死の真相に到るまでが綴られています。純粋一途ともいえるペッペは“知っていること”を得て、知性を持ち、冷静的な判断を続けます。そのペッペは精神を閉じ込める悪魔の器である体が捻じれているがゆえに、見世物小屋のような場所で働くことにもなります。そこでの日々のグロテスクさなんてものは、のちにペッペが目にすることとなる現実の前では、グノーシスの心情をもってすれば乗り越えられて然るべきものであると感じられるほど、凄惨たる出来事がやってきます。グロテスクとともに素晴らしい筆致で描かれているのはエロティシズムです。教皇その人からして、厳粛なミサののち、若く逞しい男から貫かれるのを常としていて、快楽主義者として描かれています。陽と陰、聖と性というものが巧みに組み込まれているのと、レオの死の真実の他に、知りたいと思わせられる疑問がそこここに提示されていて、その真相を知りたいと思う心がページをめくらせ、そこに到るまでに時がかかっても、その間まったく飽きさせないエピソードが盛り込まれていて、とても楽しめました。

神社・寺・教会と、その時々に合せて足を運ぶ私のような者からは、とても離れた世界のお話ではあるけれど、『人』が描かれているということで、ぐいぐいと惹き込まれていきました。ことさら、人の、普段は晒さないような、あえて見ようとはしないような、行いというよりも心情面が素晴らしかったです。その時流に正しいと声を上げているものが、正しい物質ばかりで練り上げられている人でもなく、悪しきものとされているものが、悪物質ばかりで練り上げられた人でもない。それを、この物語に登場する、アンドレア・デ・コリーニやフラ・トマーゾ、レオや様々な人々が教えてくれるのだけれど、なんといっても、ペッペ。この純粋誠実の象徴のように描かれてもいるペッペに、折に触れて手を染めさせることが効果絶大でした。とくにグロテスクさの表現に、好き嫌いが分かれると思いますが、私は読み応えを充分に得られた一冊でした。

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 フロイトの函

フロイトの函 デヴィッド・マドセン著

車内灯が消え停まった汽車の中で『ぼく』は、暗闇の中で男に行き先を訪ねられ不安に陥る。自分がまったくどこへ向かっているのかも分からないのだ。その男にあわや淫らな事をされそうになり阻止した頃、車内灯が点った。目の前には予想に反して古色蒼然とした老紳士が座っていた。彼はジークムント・フロイトと名乗り、けれどもあのフロイトとは同姓同名別人の精神分析医である。フロイト博士は暗闇での出来事を全く知らず、それどころか車内灯が消えた事も無いと言い、『ぼく』が夢を見ているのだと言った。車掌のマルコヴィッツが切符を見に来ても、切符が無いどころか自分自身が誰かさえ分からない『ぼく』は自分自身を知る為にフロイト博士に催眠術を受ける。しかし、目覚めた時には雪の中、ぴちぴちのブリーフ一丁に震え、マルコヴィッツの差し出す女物のスカートを履くしかない。自分自身の事の収穫も皆無。三人を置き去りに汽車はどこかへ行ってしまった後。そこに留まるのは得策とは言えず、最初に辿り着いた所が一番近い街だと雪の中をフロイト博士の半生の語りを聞きながらどことも無く目指す。
いよいよ灯りが見えた頃、馬車が三人を迎えにやって来た。連れられた先はヴィルヘルム伯爵の田舎風屋敷であるフリュフシュタイン城であった。そこには伯爵が十三歳になる娘だという熟した女アデルマや、城の客であり自ら“ウヌス・ムンドゥス・キュービクス”と名付けた研究をライフワークとするバングス教授、有能な執事である為に英国姓を名乗るスラブ人執事のディムキンズなど様々な人物が集まっている。自分自身のことが分からない『ぼく』はヘンドリックと名乗る事に決め、訪れた街では『ぼく』ヘンドリックは世界的なヨーデルの権威だという事になっていた。やらなければならないヨーデル公演に悩み、パンばかりの食事にうんざりし、アデルマへの愛に焦がれる。やがて取り巻く世界は混沌と境目を失い、乱れ、荒れ始める。

これはタイトルに惹かれて、ムンクの装丁に惹かれて気になっていたのだけれど、ようやく読めて大満足でした。登場するのはあのフロイトでは無いけれどフロイトと、夢、心理学、哲学というものが基盤にあるものだから、ことあるごとにある種のトラウマは性的なものと結びついて、その都度繰り返し性的エピソードが繰り広げられるのだけれど、外とは異なっているという世界設定、人の腕を喰いちぎり荒れ狂う牛や、時間が流れても同じ日付ばかりが繰り返す街という内側での様々な出来事が、滑稽さを兼ね備えているものだから繰り返されても鼻につかずに楽しめました。何よりも、函の中にはまた函が、その中にもまた函がという具合に広げられるお話と増すカオスに最終的にはどう締めるのかと、読むほどに面白味が増していって、ぐんぐんとラストまで一気に読むことが出来ました。著者の前作も読みたいな〜と思いました。

フロイトの函

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